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春慶塗ギターをギター文化館へ          2005年6月25日 発行

 ゴールデンウイークに茨城のギター文化館に行き、ギター製作コンテストのお手伝いをしてきたが、その時に元東京労音委員長で現在「ギター文化館」代表者の木下明男氏に、私の手元にある飛騨春慶塗ギター(アントニオ・マリン氏製作、漆匠谷一彦氏)を、ギター文化館所蔵としたい旨を伝えてきた。

 1973年にグラナダのアントニオ・マリン氏が白木のギターを携え、飛騨高山の漆匠、谷一彦氏を訪れ塗装を依頼。このギターの塗装が完成されマリン氏の手元に戻ったのは13年後の1986年であった。マリン氏と親交の深かった故マヌエル・カーノ先生は、このギターは世界一だと賞賛し、1988年には高山市の主催でカーノ先生による「飛騨春慶塗ギターコンサート」が催され、1000人を超える高山市民文化会館大ホールは満席で、マリン氏も来日し時の話題になった。谷氏の奔走があったのは言うまでもない。また、労音からも招聘のための多大の資金援助があった。

 カーノ先生の死後、労音はマヌエル・カーノ記念音楽事業団を設立、翌年ICGギター文化交流協会と名称変更して数々の事業を行なったが、バブル崩壊による経済環境の悪化で活動は停止。唯一、マヌエル・カーノ・ギターコレクションを収める「ギター文化館」の竣工完成で現在に至っている。

 1988年の全国公演の後、マリン氏と谷氏の意向で春慶塗ギターを私が預かり、コンサートに何度も使わせてもらい、CD「月の宮古」の録音に使わせてもらったりもしてきたが、1997年に2本目のビスニエト・デ・トーレスを手に入れてからは、どうしても“自分のギター”で弾くことが多くなり、春慶塗ギターは私の部屋で眠っている状態になってしまっていた。

 最近、「このギターの素晴らしさは人の目に触れ、耳にされなければ意味がない」と思うようになり、先日木下氏に私の意向を伝え、先月グラナダへ行った際にマリン氏に会い、またつい先日、高山へ行き谷一彦氏にも私の意向を伝えてきた。

 実は2本目の春慶塗ギターが近いうちに出来上がる…。1988年の一大イベントの時に、未完成のまま私がコンサートで使った2本目の春慶塗ギターがあり、春慶塗ギターの発案者で、私をカーノ先生に紹介して下さった発明家の田口尚義氏が「吉川君も自分のギターとして、春慶塗ギターを1本持ったほうが良い」と田口氏所蔵のこのギターの塗装が出来上がった時、私に提供して下さるという栄誉を受けている。それからもう17年、2本のギターが経た年月は30年にも渡り、私はその2本のギターに直接関わってきたことになる。

 2本のギターがそろったとき、ギター文化館で記念のコンサートを催し、第1号の春慶塗ギターはそのままギター文化館所蔵となるよう意図している。私に授与してくださる第2号のギターは、ビスニエト・デ・トーレスとともに、私の宝となって活躍してくれることだろう。

 春慶塗ギターが「ギター文化館」で広く公開され、コンサートで使われることが増えれば、スペインのギター製作の伝統と日本の伝統工芸としての漆塗りが織り成す国際文化交流として大いなる意義があると思っている。

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