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JIRO音楽のルーツを訪ねて          2005年5月25日 発行

 5月11日から12日間、スペインへ行ってきた。

 今回の旅は、昨年に続いてアルメリアのトーレス館でのコンサートとともに、富士のファンクラブの人たちを中心とするメンバーと一緒に私の音楽のルーツを訪ねる旅で、今回は「サンタクルスのパテイオ」「風に舞う」「迷路」「潮風の街」「カディスの朝」「めのう岬」などの原風景に触れてもらった。

 マドリードに入ってから一行はラ・マンチャのアルマグロを経由し、アルメリアへ。私と野口はとりあえず一行と2日間離れてグラナダへ直行、ホセ・マヌエルやカーノ先生の未亡人エミリア、ギター製作家のアントニオ・マリンと会い、個人的な用事を済ませた。アントニオ・マリンは初めてスペインへ行った時に家族ぐるみでお世話になった古い付き合いで、私が預かっている飛騨春慶塗ギターの製作家でもある。

 翌朝、アルメリアからビスニエト・デ・トーレスことフランシスコが奥さんと一緒にホテルまで迎えに来てくれ、彼の家に向かった。途中、アイスクリームを食べたり、ケーキを買ったり、ビールを飲んだり、さくらんぼ畑に寄ったり、トゥロンというアーモンド菓子を買ったりで、2時間ほどで着くはずが4時間以上かかり、家に着いてすぐ新しいギターをチェックしていると、ゆっくり昼食を食べることも出来なかった。

 夕刻にアルマグロからの一行と合流し夕食。翌日は朝からグラナダのアルハンブラ宮殿よりも古いというアルカサーバ(城砦)を見学。私と野口はその夜のコンサート準備に入ったが、観光組は「めのう岬」へ。

 コンサートの当日はカトリック教徒にとって重要な「聖体拝領」のお祭りの日で、集客の難しいことが心配されたが、開場すると満席の状況。終演後の打ち上げでは地元のカンタオール(歌い手)が歌を競い合う騒ぎまで起こり、最後まで大盛況だった。

 翌日、グラナダに移動してアルハンブラ宮殿の見学。ガイドの河野兵部さんが案内すると現地のスペイン人ガイドを雇わないといけない(違反すると超高額の罰金がある)ので、個人的に私が案内することに。詳しい説明をしてもいけないので、知っていることのみ、それとなくなんとなくお話する感じ。アルハンブラの丘を下りてから、タクシーでアルバイシン地区を巡って「迷路」を味わってもらい、ホテルへ直行して休憩。

 夜には昨年同様エミリア未亡人宅でホセ・マヌエルを交えての交流演奏会。今回はソプラノ歌手やクラシックギターの女の子も来ていて演奏に熱が入り、出されたワインやおつまみを食べる暇もなく、お腹をすかせてホテルへ…。

 翌日、一行はロンダ経由でセビージャへ、荷物の関係で車に乗れない私と野口は電車でセビージャへ直行。セビージャではトゥリアーナ地区と「サンタクルス」の散策やカテドラル見学、セビージャに荷物を置き一泊して足を延ばしたカディスでは「潮風の街」を堪能し海に沈む夕陽をカメラに収めた。「カディスの朝」には黄色いドームのカテドラルの地下に眠る作曲家マヌエル・デ・ファリャの墓参り、カディスを出発して「風に舞う」のヘレス・デ・ラ・フロンテーラでの酒蔵見学、再びセビージャに戻ってフラメンコショーの観賞とすっかりスペイン旅行を満喫し、マドリード経由で帰国。

 セビージャとカディスではハカランダの紫の花が満開で、39℃という気温に驚きながらも、乾燥した空気が暑さを感じさせず、満開のハカランダの花のさわやかな紫色が印象的だった。

スペインでさくらんぼの畑を見つける
一粒を摘みし桜桃たわわなる

アルメリアの城砦に上った
仙人掌の花に囲まれ砦立つ

一葦