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アルハンブラの“E”想い出          2005年1月25日 発行

 今月号「各地から」でも紹介させていただいた小松佳久君のリサイタルで、小松君は「アルハンブラの“E”想い出」という、A調の名曲「アルハンブラの想い出」をE調で編曲したものを演奏した。本人が演奏前にも言ったのだが、レッスンにこの曲を持ってきた時、私ははっきり「音楽的には無意味やね」と言っておいた。

 すでにギター曲としてできている曲を、あらためて編曲するということは、音楽的に向上するか、あるいは難しい部分を楽にして原曲よりも弾き易くするかのどちらかを満たさなければ音楽的には意味がない。

 しかし、音楽的には無意味でも、「ギターを学ぶ上では無意味ではない!」と感じ、コンサートのプログラムとして載せることを許可し、彼も最後まで苦しみながら編曲を続行してレッスンも続けた。苦労する彼に私が一部期待したことは、始まる音が4度低いので、後半になって音域を広げ、よりダイナミックな編曲ができるかも知れない、と思ったことだった。

 結局、「アルハンブラの“E”想い出」は原曲よりもはるかに弾き難く、かといって音楽的に向上したかというと、技術的に無理のある分相当に不利で、もしこの調が良いなら初めからフランシスコ・タレガがこの調を選んでいただろう。

 演奏会終了後、何人かの人からその曲の感想を聞くと、その試みの面白さ(良さではない!)はわかる人にはわかる(わからない人にはわからない…アタリマエ)ようで、小松君にとっては編曲することの意味や作曲・編曲の苦労、ギターという楽器の奥深さを知る上では、大きな勉強になったと思う。

 私が作曲や編曲をしてギターを弾くとき、弾き難いところをどう処理するかは面白い問題だと思っている。指の調子がいいときは難しさも見せどころかと思うし、調子の悪いときは無難な運指を考える。完成されたクラシックギターの曲であったらそう簡単には音も変えられないので苦労するところだが、自分の曲や編曲ものだと自由に変えられるので気は楽だ。ただ、ギターを弾かない聴衆にとっては、難しいとか易しいとかはあまり関係のないことで、ギターを弾くものが大して難しいと思っていないことが、弾かない人から見れば難しいと思われていたりすることもある。

 「アルハンブラの想い出」という曲は、私にとって、今年1月12日に没15年を迎えた、マヌエル・カーノ先生との日本各地での共演の中で、アンコール曲として2重奏で最後を締めくくった想い出の曲である。

 カーノ先生が亡くなった後も長い年月をかけて編曲を続け、現在は野口久子との2重奏で「アルハンブラの“A(ええ)”想い出」として私の中で生き続けている。

 松過ぎて指段々に鍛えたり
 生姜湯に一息入れるキーボード

                                                       一葦