月刊『ジロリート』とは、コンサートフラメンコギター協会が発行する「ふぁるせぇた」に寄生する世界初の刊内寄生紙です。

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眞鍋呉夫先生からの手紙          2003年8月25日 発行

 7月19日に行なわれた“宴奏会”に、作家で俳人の眞鍋呉夫先生(俳号天魚)がお出でになり、私の25周年を祝ってくださったのだが、このところお会いしたいと思っていた矢先で、先生もお元気そうで本当に嬉しかった。

 宴奏会の席上お言葉をお願いしたら、私の毎月の俳句に対して、「箸にも棒にもかからないほどヘタクソだが、続けていることは非常に立派」とのお褒め(?)の言葉を頂き、これを機会に俳号を“箸棒”と名乗りくじけず続けていこうと思っていたら、眞鍋先生からお手紙を頂いた。

 そのお手紙には、「箸棒の俳号はあまりにひどい、もうちょっとましな名前があるだろう、いずれ私が考えてあげる」との有難いお言葉が書かれてあり、もう天にも昇る喜びで、いよいよ俳句にも本気で取り組んで行かなければと思っているところだ。

 眞鍋先生との出会いは、1996年2月に行われた沼津の大中寺での「詩と朗読」という催しで、詩人で萩原朔太郎研究の第一人者那珂太郎先生の講演と、朔太郎繋がりで私の演奏会が催され、那珂先生の友人としてお出でになっていた時が最初である。その後、東京で何度かコンサートにお出で頂き、また先生のお宅にお邪魔した時には、奥様の高級料亭張りの素晴らしい手料理に驚いた。

 眞鍋先生との出会いをきっかけに始めた俳句だが、上手くなろうという気持ちを持つまで余裕がなく、とにかく続けていけばいつか何かのきっかけで新しい世界に出会えるかもしれないという思いで続けてきたような気がする。

 今回の眞鍋先生の手紙には、俳句の手法とも言うべき貴重な助言が書かれてあり、初めて先生から指導を受けた重みを感じている。今までは、とにかく「季語があるね」「箸にも棒にもかからないね」といった指導以前の状態で、私もギターを指導していてこれらの言葉の本当の意味が読めないわけではなく、内容の突っ込んだ助言を頂けるようになったら少しは進歩したといえるのかな、と思っていた。

 これからのこの『ジロリート』に載せる俳句が書きにくくなることは事実で、今までの俳句(らしきもの)が、この原稿を書き終わってからの15分ほどの間に作るということを先生に申し上げたら、「なんと言うやつじゃ」という感じで驚いていらっしゃったが、ほんと、僕って結構忙しいんです。(ギタルパも作らなきゃなんないし…)

 眞鍋先生、これからもよろしくご指導下さい。(勝手に弟子になってます)



 あんなに綺麗だった丹後の海が汚れていた

  カメノテの祟りもありや夏は行く

    大玉の花火上がりし水映ゆる


                            箸棒